みずがらす
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【テキスト】リアル童話
 深い茂みの中に、二つの足音が響いていた。
 葉の擦れ合うリズムは次第に速さを増し、追う者と追われる者の距離を少しずつ縮めている。太陽は高い位置にあり、辺りは木漏れ日に満ちていた。
 
 俺は目の前の獲物を常に視界の端にかろうじて捕えながらも、ほぼ盲目的に、狂気的に走り続けていた。葉の間から断続的に網膜を刺激する太陽光が俺の理性を麻痺させる。飢えた獣の息遣い、それが自分から感じられた。狩というものは決して容易いものとは言えない。目の前で自分の手により息を引き取る生命体。驚愕に支配された絶望的な視線が、自分はこれから死に行くのだと言う事実さえも思い起こせぬまま固まって俺の脳裏に焼きつくのだ。
 しかし殺らなければ自分の命を落とす事になる。この世界での暗黙の了解、自然の摂理だ。俺はそうやって毎度毎度矛盾した哀れみを、彼らの閉じゆく瞳の最期の瞬間に投げかけて、不条理な死を宣告しているのだ。
 本能というものは恐ろしいもので、そのように理屈では同情だとか自己犠牲の必要性だとかを多弁に奮っていたとしても、いざその瞬間となると我を忘れて獲物を追いかけてしまうという危険な分子を備えている。俺が現在追っている獲物は、本来ならば失われるべきではない命・・・自らの規制によって解き放たれるべき命だ。それなのにどういうわけか、この本能という厄介な因子を止める事は出来ない。『人虎伝』さながらに、俺は白昼の森を駆け抜けていた。血を求め、肉を求め、魂を求めて―
 一つだけ弁解を許してもらえるのなら、俺は一度だけ、奴に忠告したのだ。俺の傍に近づいてはならないと。この身の傍にその甘味な肢体を留めて置こうものなら、俺はたちまち猛獣に変身してお前を襲うであろう、と。それは俺にも止められない、だから命が惜しくば今すぐこの場から立ち去れ、と。
 それなのに何故、あの獲物は俺の目の前にいるのだろう。この視界の隅からいつまでも消えないのだろう。答えは、俺が走っているからだった。気付かないうちに、跡を追っていた。この時の俺は、本能のままに動いていたと言ってよい。ガゼルを追うライオンの様に、自らの遺伝子にこの体を乗っ取られていた。片手には、先ほどの獲物の残り香が握られている。時折この香りを嗅いでその味を想像するのだ。追いかけて、あの華奢な獲物が足を絡ませ、地面にまろび臥し、俺の目の前にその姿態をもう一度晒そうものならどうする?俺は耐える事が出来るだろうか。この血をこの手で制御できるのだろうか?今でさえその瞬間を、唾液を堪えながら想像してしまっているのに?

 木々の密度が薄くなり、パッと開けた陽だまりの草むらが姿を現した。そこに最初に到達したのは勿論先を逃げる獲物である。陽の光が天使の通り道のように森に指し込み、獲物の姿を太陽の下に浮き彫りにした。体で息をし、喘いでいるのは、まだ幼い少女であった。目をぎらつかせ我を忘れて迫り来る見た事もない怪物から、息も絶え絶え逃げ延びて来たのだった。
 自分に危害を加えるものだということは、目の合った瞬間から察知していた。捕まったら殺されるということも。しかし、彼女の細い足では、ここまで逃げるのがやっとであった。足音は尚も音量を増して、こちらに近づいてくる。彼女はもう駄目だと思った。

 俺は遂に獲物の姿を直線距離10メートルの位置に捉えた。相手は止まっている。逃げろと心で叫んでも、この足を止める事は出来なかった。
 5メートル、3メートル・・・1メートル。柔らかな頬の肉がすぐそこに見える。覚悟の色で俺を見上げるその透明なブルーの瞳。この色が、もうすぐ俺の手によって失われるのだ。それは耐え難く、また後ろめたく、そして官能的な快感を予測させ・・・
 つと、その瞳が俺の片手の一角に注がれた。獲物が落としていった"残り香"が握られている手だった。そこからは美しい細工の純白の貝殻と、銀色の金具が覘いていた。
「それは・・・私の・・・」
 その瞬間、死を目の前にしているはずの獲物は、何故か暖かい色をその眼に湛え始めた。生まれてはじめて見る光景だった。俺を目の前にすると全ての生き物が恐怖と戦慄の表情で凍りつくはずなのに、その獲物―いや、少女は今、この俺を愛しみとそれに似た柔らかな表情で見つめていた。
 俺は手にしていたものを少女に手渡した。キラリと光を受けて翻った貝殻細工は、少女の小さな手の中に吸い込まれるように帰っていった。
「・・・ありがとう」少女は小さく言った。そして、感謝に満ちて濡れた瞳に光を宿して、俺の手を優しく包んだ。
 それまで俺を支配していた凶暴な感情が、アルコールの蒸発するみたいにすっと胸の中から消えていくのを感じた。血が沸騰を止めて、静かに俺の体の中に戻っていった。
 少女はゆっくりと俺の大きな手をさすり、かすれる様な声で唄を口ずさみ始めた。この俺に、唄を―・・・!!俺は今からお前を殺そうとしているのだ!その喉を噛み切って血をすすり、コリコリとその小枝のような骨にかじり付こうとしているのだ!!それなのに何故逃げないのだ・・・!
 いつの間にか少女は森中に響かんばかりの声で歌っていた。心が通じ合っている事を、スピリットの深い部分で分かり合えた事を、森中に伝えたいとでもいうかのように。
 俺の心からは、もはや完全に殺気が消えうせていた。あの忌まわしい本能が、黒くとぐろを巻いていた薄気味悪い悪意が、その唄に浄化されるように跡形もなく消滅していた。
 俺は少女の小さな掌を握り返し、その天使のような歌声に唱和した。

もりのくまさん
もりのくまさん
涌井 曄子, はやし 浩司
03:22 | リアル童話(テキスト) | comments(0) | trackbacks(0)
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